(公社)富山県鍼灸マッサージ師会による会報138号(2017.2)9頁です。
高岡支部長 安田庄内
故 粟江先生
それは「寝耳に水」の驚きでした。平成28年7月16日、粟江一信(あわえ いっしん)先生が81歳で急逝されました。16日の夕刻、奥様からの電話で訃報を知りました。定期的に通院されている事は知っていたのですが、短期の入院中に誤嚥性肺炎を起こしたとの事で、まだまだ活躍を期待していたのに残念でなりません。
先生は中途失明の方でしたが、昭和47年富山県鍼灸マッサージ師会に入会以後、鍼灸マッサージの発展に尽力され、昭和54年度から平成6年度まで県師会代議員、平成7年度から平成18年度まで県師会理事を務められました。平成11年度から18年度までは高岡市鍼灸マッサージ師会の会長も務められました。先生は大変バイタリティーにあふれ、学術も熱心で、若手の育成にも力を尽くされ、機会ある度に「温故知新」の考えを大切にした学術の話や患者との接し方、会のあり方など、いろんな事を私たちにアドバイスされました。
平成11年、私は他の若い人と一緒に、高岡支部の役員の一人として選ばれました。今の私があるのは粟江先生のお陰と思っています。私は平成元年の入会当時、耳鍼に興味を持ち、患者さんにも耳のツボを使った施術を試していたのですが、粟江先生は耳鍼の大先輩で、後輩の方が勉強をしやすいよう、既に耳介の模型を作って関係方面に提供されていました。先生はいろんな症状に耳鍼を併用されておられ、特に、痛風に対する耳鍼での著効例は有名でした。以前は県師会で、会員による治験発表会が実施されていた時期もありましたが、発表会がなくなった後、粟江先生は「治験例の発表は資質向上には必要」との事で、高岡支部で治験発表会を続けられました。
また、同意書問題では、日頃からお世話になっている医師会との信頼関係を深める事が大切との考えから、高岡市医師会へ講師を派遣していただくようお願いされ、平成16年11月21日、第1回目の学術講演会が当時の高岡市婦人会館において開かれました。講師は斉藤外科小児科クリニック理事長、高岡市医師会副会長(当時)の斉藤大直先生でした。演題は「鍼灸治療の適応疾患と、その限界について」で、会員や家族、他支部会員、全病理協からも出席いただき、72名の聴講者でした。講演会終了後、斉藤先生を囲んで懇親会を開き、間近にドクターの話を聞く事ができました。今年(28年)11月20日の田整形外科医院・田裕恭先生の「ロコモティブシンドロームについてのおはなし」で第13回になりましたが、これからも高岡市医師会から講師を派遣していただいての講演会、懇親会を続けて行きたいと思います。
また、粟江先生は「鍼灸マッサージの発展には市民、県民への啓蒙や行政との連携が大切」との思いを持っておられ、福海・前県師会長が同じ思いで、平成7年から始められた高岡テクノドームでのボランティア活動を引き継がれ、平成9年からは「高岡市健康と生きがいフェスティバル(平成7年から平成24年で終了)」に鍼灸マッサージ無料相談会として活動を継続されました。
その間、2000年富山国体の高岡サッカー競技会場でのボランティアも含め、長年にわたってボランティア活動に尽力されました。その功績が認められ、平成25年11月1日に高岡市民功労賞を受賞されました。律儀で真面目な先生は、正しいと思った事は先輩の役員の方にも苦言を呈し、若い人には厳しいながらも、温かい気持でアドバイスをされる方でした。
鍼灸マッサージの発展を願って活動しておられた粟江先生は、苦難の時代にある私たちに対し、「頑張れ!」と、空の上から声をかけておられるような気がします。
合掌